車で豊間の海岸をずっと走った。
何もなかった。
あったはずの家や工場が根こそぎなかった。
車を停めてもらい、私とTさんは津波で流された町の中を歩いた。
「そこが、工場があったところだよ」
T氏は何もない所を指差した。
白い壁や床にカラフルな絵が描かれていた。
豊間はいわきで一番津波の被害が酷かった場所だそうだ。
瓦礫の間からいくつものひまわりが顔を出していた。
震災でボロボロになった土地にひまわりを植えるプロジェクトがあると聞いたことがある。
再び車に乗り、中学校の前に移動した。
学校の校庭やプールに撤去された瓦礫が集められていた。私は久之浜で聞いた話を思い出した。瓦礫の受け入れ先がなければ、いつまで経っても瓦礫は被災地に放置されたままになる。
小学生の頃、私の住んでいる町が大洪水に見舞われたことがある。家が流され、友達は避難所で生活をした。
水害に見舞われた場所は通常ものすごい異臭がする。トイレが流されたり、木材が腐敗したりしているからだ。
豊間の中学校の入り口には立ち入り禁止の看板が置いてあった。
学校がボロボロで崩落の恐れがあるからか、タバコの火なんかが原因で火事が起こるからか理由はわからない。
ただ、瓦礫を放置したままにすると、今度は衛生面でトラブルが発生するだろう。瓦礫をどうにかしなければ、被災地を見捨てることになる。
Podcastの学問ノススメで林真理子さんが言っていた。
「被災地を救おうという言葉と瓦礫受け入れ反対という言葉は同じ人の口から発せられている」
海沿いの壁にスプレー缶で絵を描いている人がいた。
彼はボランティアで訪れているらしい。
瓦礫をキャンバスに変えるプロジェクト。
小学生やボランティア団体の人達が交替で描いているそうだ。
私は、ふと、グラフィティライターの同級生を思い出した。
「そろそろ行こうか」
私はT氏の車に乗り込んだ。
いわきの人なら絶対に知っていると言われている豊間のコンビニ。
震災後すぐに仮設コンビニを作って地元の人を支え続けた。
豊間のコンビニのすぐ近くにあるゴジラの置物。
実は売り物。
持ち主の方と交渉すれば、有料(うまくいけば無料?)で譲り受けることが出来る。
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